大江健三郎は『自分の木下で』という本の中にノースロップ・フライというカナダの学者の言葉を引用して書いてあった。『大いなる体系』という本から
「先生とは生徒の心のなかに問題をあらためて作り出すようつとめる人である。」
所謂的老師,是可以把學生心中的某種問題,重新再創造出來弄清楚,以此為工作的人。
柳 田國男という学者が先生から教えられたことをそのまま真似るような勉強の仕方をマナブ、それを自分で活用することもできるようにするのがオボエル(自転車 の乗り方をオボエルというでしょう。)そして教えられなくても自分で判断できることをサトルと分けました。マナブからオボエルに進まなくてはならないし、 できればサトルようになりたい、といっています。
有位叫柳田國男的學者,把「模仿老師所教導的事物,以照本宣科的方式做出來」稱作是「學」,等到自己可以活用了,就稱之為「覺」(腳踏車的其法就是),然後,不用別人教,自己也可以做判斷的時候稱為「悟」。他說做人不僅要從學到覺,最好能做到悟的境界。
大江健三郎さんの言葉です。
自分が本当によい本だと思ったなら、しばらく時をおいては繰り返し読んでください。おのたびごとに、色のちがう鉛筆で線を引いたり書き込みをしたりしておくと役にたちます。
如果你認為這是一本好書的話,就請每隔一段時間重新溫讀一次吧!每次,都用不同的色鉛筆畫線加注,這對自己很有幫助。
『こころ』には、もうひとつ、私にとって気がかりな言葉があるのです。「私の鼓動が止まった時、あなたの胸に新しい命が宿る事が出来るなら満足です」
在『心』這本書裡,有一段話非常打動我:「當我的鼓動停止時,如果有一個新的生命在你的胸中停駐,我就很滿足了」
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